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釣りにハマったキッカケ 少年時代
もともと、ため池の多い地域で生まれ育ち、
なおかつ海まで歩いて5分という瀬戸内海生まれであり
もの心ついたときから釣りはしていました。
だから、釣りを始めたキッカケというルーツは
はっきりとは記憶していません。
小学校低学年頃だったと思いますが
農業用水を溜めてる堀でフナ釣りをするのが楽しみでした。
冬は釣りにならないので、春が待ちどうしくてしかたなった。
そんなことを学校が推薦した北海道は小樽の文通相手の
手紙に書いたことを未だに記憶している。
文通相手の彼は、冬のスキーで楽しんでいるときに。
■ 釣りエサ 淡水魚の場合
エサは、ミミズで、近所の家庭排水用水路で自分達で捕ったものだ。
いくらでも捕れた。今のようにミミズが販売されるなんて
夢にも思うわけもなかった。
昔はどこの家庭でも台所の排水は井戸のような穴を掘り
そこへ流し込んで沈殿させることにより自然浄化させていた。
だからその水路にはミミズが生息し浄化に一役かっていたのだ。
時には、危険覚悟で蜂の幼虫を捕った。
これはとにかくよく釣れた。
しかし、怖くてなかなか手にいるものではない。
■ 釣り道具 淡水魚の場合
竿は山から切ってきた一本の竹。
釣り糸・針・ウキ・鉛 を近所の雑貨店で買った。
竿も100円前後で売ってはいたがお金持ちの子が買うぐらいだった。
釣れるのはもっぱら銀ぶなで時にはなまずや雷魚が釣れたが
ブラックバスやブルーギルというキーワードはその時代には
言葉すら存在しなかった。
■ 海釣り
海釣りは陸から釣る場合は竿は使わず、釣り糸の先にパチンコの玉
くらいの鉛をつけ、その先に20センチくらいの糸をつけて針をつけた。
エサは潮が引いたときに岩場でゴカイを自分で捕ってくる。
これは、なかなか数を稼ぐのが大変だった。
釣具屋で売っていたのかどうかの記憶はないが、売っていても子供が
小遣いで買うということはありえないと思う。
釣り方は、カーボーイが投げ縄を投げるように頭の上で
オモリのついた仕掛けの部分をぐるぐる振り回し反動をつけて
沖に向かって投げるだけ。
あとは、手でもって糸をピンと張って魚の当たりを待つという
極めてシンプルな方法。
ベラなども釣れたが、メゴチ(ノドクサリ)がほとんどだった。
友人の親の小船で少し沖に出て釣る時は
投げるのが楽になり、ちょいと投げるだけでよかった。
狙うのは、ベラである。
地方で呼び名が違うが、キュウセンである。
赤い色がメスで青い色がオス。
勿論大きな青いベラを狙うのである
それを釣ればその日は大将(ヒーロー)である。
■ その他 かに
晩秋には、突堤などで、小さなワタリガニを釣ったりした。
釣り方は、ザリガニ釣りの要領で、1メートルくらいの棒に
同じ長さくらいのタコ糸をつけて、エサの秋刀魚の頭などを
くくりつけて水中の石垣の穴にたらして誘う。
カニが挟んだらそのままそっと持ち上げてバケツにぽとりと落とす。
その繰り返しのみで、そんなに夢中になるほど面白くはない。
多分子供の握りこぶしくらいの大きさだったと思うが
おやつにするくらいは十分捕れた。
■ その他 うなぎ
うなぎは、同じく石垣の穴にミミズなどをつけて誘うのだが
このシカケは独特のものだった。
ちょっと、文書で説明するのは難しい。
上手く図が描けないが、中央部は節をくりぬいた1メートルくらいの長さの竹筒だ。
右の矢印部分は竹製の握り手部分だ。そして真ん中の線が釣り糸である
そして、左の○が釣り針である。
うなぎの潜んでいそうな穴を探して歩き、海の中には入らずに
直接この仕掛けの先のエサの部分を穴に入れる
ときには、うなぎと目が合うこともあった。
うなぎとの距離は子供でも手が届くくらいだ。
丸の部分の釣り針がうなぎの力で穴の中に引きずりこまれようとしても
握りの部分は竹筒の中を貫通はしないから
ストッパとなり子供の腕力でも持ちこたえることができる。
竹筒を持って一気に穴から引きずり出すのである。
当時は竹の節を抜いて一本の筒にする作業が大変だったが
現在なら、水道配管の塩ビパイプをはじめ、多種多様な
樹脂製パイプが安価で入手可能なのですぐ作れる。
誰が、考案したのかは知らないが、年上の少年から次々と
後輩に伝授され受け継がれていくのだ。
当時、どこの親でも仕事に忙しく子供といっしょに遊ぶとか、
子供に釣りや泳ぎや遊びなどを直接教えるということはなかった。
すべて、ガキ大将格から伝えていく方法だった。
この当時、私は直接魚を殺すことができなかった。
釣った魚は、海水魚は別としても、海で釣ったうなぎでさえも
自宅の庭の小さな金魚堀とよばれる池に放流していた。
大きさは畳一枚分にも満たない小さな池だ。
うなぎを入れると翌日には金魚の姿が消えるということは当時は
まだ知らなかった。
■ 潜水漁
小学校高学年からは潜って魚をモリで突いたり
サザエを採るのが面白くなり
どこにいるかわからない魚にエサをつけた針で待っている「釣り」
というのが海の中が見える水中眼鏡からバカに見えてしまっていた。
それ以来釣りはしなくなっていた。
そして今度は、中学高学年から高校にかけてはエレキブームであった。
サザエの一日の自己最高記録は114個である。
■ 釣り再開
釣りを再開したのは、会社に入ってからの社員旅行であった。
当時の所長が釣りがしたくて道具を自慢げに見せていたのを
覚えている。
当時同期が3人いて、一人は素直に釣り道具を揃えた。
もう一人は私と同じく素もぐりでサザエ採りを選んだ。
もちろん私も潜ってサザエを採ることを選択して
その準備をして離れ小島に社員旅行した。
二人だけ海に潜っていたが、みんなほとんど波止で始めての釣り
を楽しんでいる。
潜水漁、それはそれなりによかったのだが、
釣り組みはそこそこの釣果に満足していて
わいわいと楽しそうだった。
極めつけは夜釣りだ。
さすがに知らないところで夜間には潜れない。
釣り道具を持ってない二人は指をくわえて釣りを見てるしかなかった。
それをキッカケに3人同期のうち一人だけ
釣り組みに参加した彼がはそれ以来釣りにハマってしまい
旅行から帰ってすぐ夜釣りにいくということで私もそんなに面白いならと
道具を購入して同行した。
悲しいことに当時の独身寮の隣は小さな釣具屋さんであった。
そしてついに鯵のさびき釣りから 第二の釣り人生が
スタートしてしまった。
一緒に潜ったもう一人の同期の彼は、スポーツ系の趣味に
戻っていって結局別の同期二人で競うように釣りにのめり込んでいった。
その当時は鯵の夜釣りから始まり、投げ釣りのカレイ・アイナメ
などが主で初心者クラスの釣りだった。
まだ、渡船を使って沖磯に渡り磯釣りをするというのは
経済的に無理だと思っていた。